東北割烹研究会
東北割烹研究会調理師紹介所
(厚生労働大臣認可許可番号04-ユ-300111)
東北割烹研究会四條流庖丁儀式保存会 平成22年初代会長
及 川 健
東北割烹研究会四條流庖丁儀式保存会 令和4年2代目会長
菅原 喜美男
東北割烹研究会四條流庖丁儀式保存会
当会の庖丁儀式は、昭和45年に12代四條流式家元を襲名された山下 茂先生に教えを頂きそれ以来、先生の意思を伝承すべく、当会では保存委員会を置き、技術の向上と研究を図り東北割烹研究会四條流式庖丁として今日まで継承しております。
山下家元のご指導の証として、儀式用の俎板に一筆と式庖丁を頂いております。
令和4年度
東北割烹研究会四條流庖丁儀式保存委員 名簿
1 保存委員会 名誉巨匠刀士 藤原 義一
2 保存委員会 巨匠刀士 及川 健
3 保存会会長 会長 菅原 喜美男
4 保存委員会 理事 佐藤 信
5 保存委員会 理事 髙野 健二
6 保存委員会 理事 土井 明
7 保存委員会 理事 平館 雪夫
8 保存委員会 理事 若有 弘
9 保存委員会 理事 井澤 茂美
10 保存委員会 理事 大沼 幸夫
11 保存委員会 理事 東海林 剛
12 保存委員会 委員 遠藤 慎也
13 保存委員会 委員 鈴木 裕幸
14 保存委員会 委員 渡部 建
15 保存委員会 委員 佐々木 新
16 保存委員会 委員 木村 浩一
17 保存委員会 委員 阿部 貴英
18 保存委員会 委員 下嶋 良介
19 保存委員会 委員 長山 祐太
東北割烹研究会四條流庖丁儀式のいわれ
当会の庖丁儀式は、小野寺嘉祝先生・丹野正夫先生・千葉小三郎先生・渡部福男先生中心に東京神田より昭和46年四條流12代家元を襲名された山下茂先生を仙台にお招きし教えを乞うたもので当会では、先生の意思を伝承すべく、庖丁式保存委員会を開き、技術の向上と研究を図り、現在も後進に伝承を目的に、四條公祭・伊達家縁の八幡神宮・榴岡八幡宮・学校・ホテル等にて披露しております。
山下先生のお話によれば「古くから料理に関する古文書・文献等・幾度もの戦乱などにより、諸派も消滅の運命をたどり消失させたとの事、ところがたまたま、料理人の粗である四條中納言藤原朝臣山蔭卿(第八代)の子孫である伊達政宗(第三十三代)家に伝わっていた四條流奥義の書が四国伊予吉田で発見され、石井翁はこれにもとづき「日本料理法大全」を表し今日の四條流庖丁のバイブル(最重要書類)になっております。」と話された。
山下先生にとりましても伊達家ゆかりの書であるがゆえに仙台の地に、との思いで継承していただいたと我々は勝手に解釈しております。
四條流12代家元 山下 茂先生
歴代会長の庖丁式
【昭和38年6代目会長 小野寺嘉祝】
【昭和44年7代目会長 丹野 正夫】
【昭和48年8代目会長 千葉 小三郎】
【昭和57年10代目会長 荒川 昭治】
【平成12年12代目会長 佐々木 一夫】
【昭和58年9代目会長 渡部 福男】
【平成4年11代目会長 藤原 義一】
【平成22年13代目会長 及川 健】
四條流庖丁儀式について
「四條流庖丁書」には、四條中納言藤原朝臣山陰卿が鯉を庖丁したことから、庖丁の儀式の切形がはじまったと記録されています。
また「源氏物語」の「常夏巻」には「いと暑き日、ひんがしの釣殿に出給ひて、すずみ給ふ、中将の君もさふらひ給ふ、したしき殿上人あまた候ひてにし川(桂川のこと)より奉れる鮎、ちかき川のいぶしやうの物、おまへにて、調じてまいらす」云々と書いてあります。
また「宇治拾遺物語」では、記茂経が「さて狙板、洗ひて持て参れ」と声高いひて、やがて茂経今日の庖丁仕らんといひて、真魚箸けづり鞘なる庖丁抜いて云々と記されてあります。
このように「庖丁式」は、まことに古い時代から行なわれたものでありまして、幾多の文献を見ましても、そのはじめは殿上人(公卿)や、大名が賓客を我が家に招いた場合にその家の主人が心から歓待する意味で、まず、主人みずから庖丁をとって、庖丁ぶりを見せてその切った材料を、お抱えの御膳部の料理人に調理させて、ふたたびその賓客のお膳に供して、御馳走したものであります。
従って「庖丁式」というものは、厳粛の儀式であるとともに、あの平和な大宮人の風流優雅な気分と生活の一端を表現した社交儀式とも言えましょう。
※神田明神 年中行事より参照 https://www.kandamyoujin.or.jp/event/detail/?id=6